ぷりんつの考え事

遊戯活動に関する人類史的・社会科学的分析

インターネットと割れ窓理論の限界

はじめに

 著者の背景知識が皆無なことを除いてはすごく真面目な記事です。千日前ラウンドワンを擁護する内容なのでそうした内容が苦手な人は今すぐタブを閉じることを御薦めします。

割れ窓理論について

 ニューヨークのある犯罪学者は、裏通りを通りながら考えた。何故窓は割れるのかと。ちなみに窓は蹴ったら割れます。しかし彼はそう考えない、元々窓が割れているのが放置されているからだ、と。窓が割れていることが放置されているということは誰もがその地域に関心を払っていないというサインであり、何でもし放題であるということを示してしまっていることである、と。そしてそのような悪の連鎖を防ぐためには窓を割る程度の軽微な犯罪でも積極的に取り締まっていくことこそが肝要である、と。彼はそう考えた。

 まあ、どのような経緯があったかは知りませんがこんな理論です。僕は小学校のころ「警察の方にインタビュー!」みたいな企画でその理論に触れましたが、冷静に考えて警察がこの理論に忠実だったら生きづらい世の中だろうなあって思います。警察は仕事たまにするくらいがちょうどいいんじゃないですか?

太鼓の達人割れ窓理論

 さて、ガラスは割れても元に戻ります。しかし、ガラスが割れたという事実は永遠に消えませんよね?特にインターネットの開発により、そうした事実はデータベース上に残されてしまい、誰にでもアクセスできるような社会となってしまっています。

 下に示すのは「千日前ラウンドワン」の関連キーワードです。

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「千日前ラウンドワン 事件」「千日前ラウンドワン 治安」など10のうち3がネガティブなキーワードで占められています。

 確かに千日前ラウンドワンは治安の悪いゲームセンターです。僕が行ったときは太鼓の達人を親子で台蹴りしてる親子がいたりして面白かったです。全然笑えませんけどね。ツイッターとかを見ても万引き報告とかを他のゲームセンターに比べて多く見かけるのでそのたびに僕は心を痛めています。

 話を戻します。では、何故そこまで犯罪が頻発するのでしょうか。ここに割れ窓理論の限界があると私が考えます。割れ窓理論の世界では、割れた窓を直してその後も治安維持に努めればその地域の平穏は回復するとされます。

 しかし、インターネットの発達した現代ではそうはいきません。窓が割れた事実は残るのです。また、割れ窓理論の前提として官憲が当該地域に関心を払えば犯罪者は犯罪を起こしにくくなるという前提がありますが、本当にそうなのでしょうか。

”犯罪の聖地”化

 千日前ラウンドワンの店舗さん側や、大阪府警の努力にも関わらず千日前ラウンドワンでの犯罪が減少しない理由はこれしか考えられないでしょう。

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(千日前ラウンドワン公式ツイッターの涙ぐましい治安維持努力に対する心無い反応の一例)

 心理学者フィリップ・ジンバルドは1969年、人が匿名状態にある時の行動特性を実験により検証しました。その結論は、「人は匿名性が保証されている・責任が分散されているといった状態におかれると、自己規制意識が低下し、『没個性化』が生じる。その結果、情緒的・衝動的・非合理的行動が現われ、また周囲の人の行動に感染しやすくなる。」というものでした。

 ところでインターネットでは日夜情報が更新され、蓄積されていきます。そんな中で千日前ラウンドワンで犯罪の起きたという報告も蓄積されていきます。さて、先人はいるのです。また、その先人の名前はわかりません、つまり匿名性も保証されているとみていいでしょう。また、「千ラで事件が起きた」というだけでインターネットのオタクは「千ラなら仕方ないな~w」などと言い出す始末です。責任なんてないも同義でしょう。

 当然こんな環境下で自己規制意識なんてあったもんじゃありません。また、ゲームセンターという環境への偏見などもあわさって、”千日前ラウンドワンで犯罪を起こす”ということに対する抵抗はどんどんなくなっていくでしょう。

 これを”犯罪の聖地”と呼ばざるとして何と呼ぶでしょうか。

克服への道しるべ

 ないとおもう。強く生きて!w

おわりに

 どうやら僕の何かを書くことへのモチベーションはすぐに切れる傾向にあるらしいですね。色々書いたけど千日前ラウンドワンのあの雰囲気を味わえたことは僕にとって貴重な経験となったので本当に応援しています、本当に。

 次回は決まってません。最近音ゲーのモチベが復活してきたのでそういったことを書くんじゃないでしょうか。